2017年6月9日金曜日

泣き声事件

私が高校2年の頃の話です。

私はテニス部で、その日はコーチから
ダブルスのペアを発表される日でした。
私の学年は7人、1年は11人
(3年生はもう引退しています)

私の学年は仲が悪い子もいて、
1年時から色々あったので
コーチは仲良しの子同士で1ペア組ませて、
他は部内戦順でした。

私は1年の頃から組んでいた子と2年になってもペアを組めることになりました。

私達は1年の時から自主練とかよくしていて
大会でも何回か勝ち上がれていて、
また来年も頑張ろうと言っていたのです!


2年で1人だけ、1年と組むペアができます。
しかしその2年の子が少し厄介な性格なのです

1年と組むことになった2年の子は、
コーチからペアを発表された時に泣きながら
「嫌です。組みたくないです。」
と首を横にふりました。

コーチも予想外の展開ですし、
その2年と組む1年の子もその場にいました。

そしてコーチはすぐに、
私を1年と組ませることにしました。
コーチに、そのみんながいる場で
「いいかな?」と聞かれました。
私は正直、嫌でしたが、そんなことは言えず
「いいです」と答えました。

後からコーチに謝られた話ですが、
私達2年は仲が悪い子もいるので、
ペアを安易に崩せず、残った2年では
私が1番気持ちの浮き沈みが少なく
1年と組ませやすいとなったそうです。


この日に、家に帰ってお母さんに
この出来事を話しながら私は
悔しくて泣いてしまいました。

自主練をよくペアの子としていたのを
お母さんも知っているし、
2年になってもっと2人で勝ち上がりたいと
目標をたてていたのも知っています。

そして厄介な2年の子のように、
自分は断ることなんてできないし、
というか、
まさかペアが嫌ですなんて言うなんて
そんな自分勝手が通じるなんてという
理不尽さ?!に更に泣いてしまいました。

また、一番可哀想なのは1年の子だよ
優しくして組んであげるんだよ
などとお母さんが慰めてくれ、
優しさに泣いてしまいました。

そんな時に、二世帯の下に住む嫌味な祖母は

『そんな泣いて周りの家から、
 どうしちゃったんだろう?
 って思われてるよ。
 みっともない。
 泣くなら窓を閉めきって、
 泣いてちょうだい。』

と怒鳴りながらあがってきました\(^o^)/

私は、そんな嫌味な祖母にビックリして
涙も止まり、
なんなのこいつ、そんなに周り周りって。
世間体ばかり気にして。
普通、どうしたの?大丈夫?ぢゃないの?
そんなしょっちゅう泣いてるわけぢゃないし、たまには泣いたっていいぢゃん。

という思いしかありませんでした。

更に追い討ちをかけるように、
私の父が1階の玄関から帰宅後に
嫌味な祖母が今日の泣き声のことを父に
話したのでしょうね。

2階に帰ってきた父に、母が理由を話したら
「そんなことで。
 部活なんだからそんなもんだ。」
と言っていたのを覚えています。

確かに父のいう通りです。
社会に出たら理不尽なことばかりでしょう。
大人になって今思えば、
泣くことなかったなとか、
なんでああだったんだろとか、
自分幼かったなとかあるでしょうけど、

中学、高校とかって、
女子同士の人間関係あれこれあるぢゃん?
せめてさ、なんかもう少し柔らかいお言葉を
掛けてくれてもいいぢゃんか
と思っておりました。



自分が社会人になってから、
父の偉大さや、不器用さに気付いて
実はとても大切にされていたんだなと
思っています。今も。

ですが、この頃はそんなこと分からず
父には反抗期を引きずってました!


話が反れましたが、

嫌味な祖母のこの時の世間体を気にする言葉で
私はこの日以降、
声を押し殺して泣くようになりました。
(といってとも、大人になったら
 そんなギャーピー泣くような事ないですね)

念をおさせて下さい!
この時だって、そんなギャーピー泣いていた
というわけではないのです。
暑い時期だったので、確かに窓は全開でしたが
そんな大声で泣いてなかったと思います。

なのに自分の家で泣くのを
周りを気にして、暑い中窓を閉めきって泣けと
高2の私には嫌味な祖母の存在が
ただただ息苦しかったです。

自由に泣かせてください。


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